知覧に行きました

 知覧とは鹿児島市の隣町。薩摩半島(鹿児島湾の西側の半島)の中央に位置します。なんでもお茶の生産量が全国一なんだそうな。静岡のお茶が出る前に新茶を出荷する(静岡のお茶とは勝負にならないということかな?)。ここは第二次世界大戦末期に陸軍航空隊の特攻の基地があった。ちなみに「神風特攻隊」とは海軍航空隊の特攻隊であり、陸軍航空隊のは「神風」ではありません。が、米軍にとっては飛んでくる飛行機が海軍か陸軍かなんてどうでも良い。「Kamikaze」と呼んでいた。
 知覧は陸軍の航空基地で、海軍の鹿屋と並んで、沖縄戦ではここから1200機もの飛行機が特攻隊として飛び立って行った。知覧の資料館には18年前に行ったことがある。あまりにも悲惨で正視できなかった。が、鹿児島に来て鹿屋の資料館に行ったらそれほど悲惨さは感じさせなかった。ので、もう一度知覧を見てみることにしました。
 やはり知覧の展示を見ると戦争の悲惨さを感じざるを得ない。近くの人の様子を見ていると泣いている人を何人も見た。知覧から飛び立った特攻機は鹿屋よりやや少ないのだが、鹿屋の展示施設よりも悲惨さを強く感じる。やはり、自衛隊直営の施設と、有料の展示とは、それぞれアレンジが違うんでしょうね。自衛隊の宣伝広報のための施設で戦争の悲惨さを前面に出してしまうと自衛隊の宣伝効果をスポイルしてしまうし、有料施設(入館料500円)ならばリピーターを得るためにも感動を強く与える方が得策。その目で見ると、そのためのアレンジもいくつか気が付いた。展示室に入る前のホールに古いピアノが飾ってあり、ピアノにまつわる悲しい話が展開されている。展示室に入る前に既に大きなショックを受けてしまう。


知覧の展示施設。以前に行ったときは木造で歩くとギシギシ音がする施設だったのですが、いつの間にやら立派になっていた。


 三角兵舎。壁はなく穴が壁の変わりとなっている。十代後半の特攻隊員は竪穴式住居のような粗末な施設で暮らし、死に向かう最後の夜もここで眠った。自殺に向かう前夜というのは眠れるのだろうか?ここにも入り口に仏像を置いたり、子供達からの寄せ書きや千羽鶴を飾るなどるなどのアレンジがなされている。


鹿屋の施設と同様に、遺書等のプライベートなものが多いため撮影禁止。わずかに海中から引き上げられたボロボロの戦闘機が、窓の外から見ることが出来たので、外から撮影した。が、知覧は陸軍基地なのにこれはなぜか海軍機。


知覧の街並み。街路樹に注目。


知覧の隣の川辺町にある清水磨崖仏。ガイドブックで知って行ってみた。溶結凝灰岩の崖にいろいろ彫り込まれている。溶結凝灰岩は基本的には軽石のようなものなので、釘などでも容易に削ることができる。ま、崖の落書きみたいなものか?古いものは平安時代なんだそうで..。新しいものは明治時代。古いものは落書きっぽいが、明治のものはかなりきちんとしたもの。
重要文化財というから期待した。よく見たら県の重要文化財。そういゃ県の重要文化財や天然記念物というのは、宮崎の岩渕大池でもだまされたな。


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