椎葉村とダム

 以前にダムの話を読んだことがある。戦後の日本復興のために電力の確保が何よりも必要だった。山奥の平家の落人部落である椎葉村にダムを作った。椎葉村はかなりが水没することになってしまったが、その犠牲に上に日本の復興がある。日本最初のアーチ式ダムと日本復興に用いられた電力建設の陰には、100名以上の犠牲者と、水没によって故郷を失う数百名の者の哀しみがある。
 さすがに築50年以上経ってダムのコンクリートにはスが入り始めている。写真には残せなかったが、驚くのが椎葉中学がダムの真下にあること。昔の集落から移転したのであんな場所に建っているんでしょうか?
 椎葉村は信じられないような所で、まさに日本の秘境と言える。白水の滝から県道で20km程度の峠を越えるのに車で1時間かかったけど、そんな山奥の集落にも小学校があった。ここぞチベット。そこから椎葉村の中心(と言っても何もないが)まで車で30分もかかる道にスクールゾーンの看板が。おいおい、まさか!


日本最初のアーチ式ダム。高さは105mある。写真には写っていないけどダムの真下(ちょっと左側)に椎葉中学校が建っている。


工事では105名もの方が亡くなった。慰霊碑なんですが信じられないことに慰霊碑にイタズラする馬鹿者がいるらしくフェンスで囲まれていた。


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