銅像・生誕の碑が多い

 今年、私と同じく初めて鹿児島に転勤してきた同僚が「鹿児島は銅像が多い。あちこににある。銅像が多いと言えば、ソ連とかイラクとか連想してしまって....」と言っていた。彼は在外勤務経験も多いので、外国と比較して本当にそう感じているのかも知れない。残念ながら私には比較対象がないのでよく判らないが、言われてみればあちこちにあるような気がする。でも、東京だって某財団の施設の玄関前には必ず「母を背負って石段を登る○○会長」の銅像を置いてあった。某財団の施設がある港区・中央区では頻繁に見かけた。
 自分が生きている間に、自分の銅像をやたらたくさん造って飾る精神は理解できないが、自分で造らなくたって、自分の像を飾られるのは気持ち悪いと思うのだが....。そう言えば、見たことはないけど、この県選出の某議員(現役)の銅像まであるという話を聞いたことがある。

 

 銅像の多さはさほど意識しなかったが、「○○生誕の地」の碑がやたらに多いことが、4月から気になっている。明治革命時に中心となった勢力地なのだから、当時の中心人物を多く輩出しているのも当然。だから、それら人物が生まれ育った地があるのも当たり前だが、明治期の偉人ではなく、それほどの評判があった訳でも、成果を残したわけでもない人物の生誕の地の碑まであるのを見ると、すごく違和感を感じる。また、どの碑も新しいものばかり。観光資源として無理矢理造ったように思えて、その背後の卑しい意識が見え隠れしているようで、どうにも感心しない。


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