高野山に行きました
以前に熊野神宮の帰路にふと気が付いたら高野山の前だった。ので、お参りでもしようかと思ったのだが、営業時刻を若干過ぎていたため拒絶された。信心深くはないのだが、せっかく行ったのに拒否されると面白くない。し、確か我が祖父は真言宗だったはず。小学生の頃、祖父から金剛峯寺の名前を聞いた記憶がある(我が父も同じはずだがそれほど信心深くないと思うし、母はカトリックだし)。ので、きちんとお参りすることにした。
山門。これは以前に行ったときに見たけど、ま、順番ですから。
金堂と大塔。それ以上はコメント無し。ともに200円の有料だったが入らなかった。金堂は非常に古い建物で国宝だが、大塔は1934年と新しい。ので、見た目も権威が無さそうに私には思える。
高野山の中心、金剛峯寺。門は紅葉で美しいし、中の庭園も美しい。が、実はこの日、金剛峯寺の前の駐車場では地元のイベントがあって大音量の音楽が流されていた。金堂から歩いていくと飯島真理の「愛、覚えていますか」が聞こえてきた。「え"」と思って耳を澄ませると、次には氷室京介の声で「モニカ」がかかった。クソ演歌じゃなく、私には馴染みがあるものなのでキライじゃないが、このシチュエーションではちょっと....という気もする。金剛峯寺に入ろうとするとなんと次の曲は中森明菜の「セカンドラブ」。証拠にごく一部を音声付きで記録してしまった。画面が揺れているのは笑いを堪えられなかったから。金剛峯寺の中に入って庭園を眺めていたらちょうど正午で、鐘の音とチューリップの「サボテンの花」が聞こえてきた。音楽の趣味は私の嗜好とかなり良く合うのだが、状況判断は私のセンスとは若干違うところがある。
これが問題のイベント。ビエトロ・モンタグナ?なる高野山とはかけ離れたラテン系の名称。
ここではビンテージカーの展示もなされていた。こりゃ趣味だな。手前のはガルウイングドアのメルセデス300SL。ジャガーEtypeやロータスエラン、フェラーリディノやデイトナ、多数のポルシェなど、なかなか見事なものばかり。
話題は金剛峯寺に戻る。権威と歴史を反映し、天皇が来たときの部屋もあった。台所も興味深い。ご飯を炊く釜は7斗が4つ。一度に2800合の米が炊けることになる。たくさんの僧を雇っている総本山だけの事はある。
紅葉シーズンを狙ったつもりではないが、ちょうど素晴らしい時期にあたった。こんなに素晴らしい紅葉を見たのは数年前に米国で見て以来のこと。
奥の院。弘法大師が眠っているらしい。左下の看板地点より先は写真撮影は禁止なので望遠で写した。水向地蔵と紅葉。みんな仏像に水をかけていた。何か良いことがあるらしい。と思って分からないが私も水をかけてみた。
奥の院に至る道は墓がたくさん。夜だったら不気味かも。
有名な戦国大名や江戸時代の諸藩の墓もたくさんある。諸藩は北海道の松前家から鹿児島の島津家まで。写真は左上から武田信玄/勝頼、明智光秀、織田信長、左下から豊臣秀吉、石田三成、島津(名前は忘れたが最初の三代)。ライバルが隣接しているのも面白いが、考えて見りゃ天皇からの勅許を得てによって建てられたのだから、エスタブリッシュメントに受け入れられるのは当然か。笑っちゃうのが、仏教の墓のくせに神社の鳥居がついていること。いかに日本の宗教がごちゃ混ぜになっているかが良く分かる。
何があったのだろう?阿波蜂須賀家の墓は一部は倒れていた
こんな中に伊達政宗の墓の前にスキー場の看板も
思わず覗いてみたら、確かに短いながらもスキー場らしき斜面があった。笑っちゃうのがレストハウスらしき建物が和風にアレンジされていること。でも、スキーを担いで墓が並ぶ道を歩いて、伊達政宗の墓の前を左に曲がって徒歩3分ってのは、スキーするにはちょっと無理がある。ような気がする。
有名企業の墓もたくさんあった。創立一族だけじゃなく企業の縁故者も入っている。しかし、永年勤続だけじゃなく死んでからも企業の墓に入るなんて欧米じゃ信じられないだろうな。まさに一生を企業に捧げるってことか。
コンビニも街並みにあわせて由緒正しそう。
なのに床屋は「アイロン、パンチ、パーマ、染毛」と落ち着いたどころか、ガラの悪さを感じさせる。それとも大仏に似せて金のパンチパーマヘアがこの地では神聖なのか?墓石店の前にはポケモンのプリンの像が。
高野山に至る道にて。前の車は北見ナンバーのビートルのダブルバンパー。ナンバーはごく新しいんですが。運転していたのは帽子かぶった若いおにーさん。現存するダブルバンパー車も珍しいが、関西で北見ナンバーってのももっと珍しい。高野山に勉強に行かされた網走地方の坊さんの息子の車かな?