倉敷に行きました
明治期の日本の街並みが保存されていることで有名な岡山県倉敷市。女性観光客には人気らしい。以前に岡山まで行った時に倉敷はその隣であることに気づいた。神戸からでも十分に行動範囲のようだ。どうも東日本から見ると、岡山・広島・山口の相互の距離感がつかめない。西日本の者が栃木・群馬が分からないであろうのと同じ。
岡山と言えば学生時代に四国の地質見学をしたあと、宇高連絡船から乗り換えて新幹線で神戸で下車した記憶がある。新幹線で移動しなければならないほど遠距離だと漠然と思っていたけど、意外にも近いようだ。
ま、それはさておき、倉敷。岡山市から一般道を車で30分もあれば着く。例によって神戸から一般道で出かけたが、国道2号線はかなり整備されているので、信号も少ない。渋滞さえなければ3時間ちょっとで着けるのではないかな?ま、実際には渋滞がしばしばあって3時間半かかったけど。
水運のために造られた堀川とその脇に並ぶ柳、それに土蔵など。昔の街並みが保存されている。
きちんと金をかけて景観が維持されている。
旧倉敷紡績の工場が、今はホテルになっている。レンガ造りにツタが幾重にもからまって重厚さを感じさせる。
有名な大原美術館。倉敷紡績の創業者が集めた絵画が展示されている。明治・大正の先進文化人があこがれたんであろう、ギリシア風の建築。モネとかルノアールとか、教科書で見たことのある絵がいくつもあった。別館では残念ながら現代アート展をやっていて、本来あるべき日本の近代絵画は見ることが出来なかった。どうにも現代アートは理解できない。が、もっと理解できないのは工芸品。陶芸品ってのは美しさや価値は私には全く理解できない(実用性としての価値ならば理解できるけど)。
しかし、こんな莫大な資産を短期間で築き、(結果として地域の遺産として)社会に還元した明治の人たちってのはすごいな。富がそれだけ偏在していたってせいもあるんでしょうけど。十数年前、某グループの総帥は世界の最富豪として名前が挙がっていたし、最近はIT関連の若手経営者が野球チームに投資しているけど、結局、後生に何を残せるのだろうか?某巨大流通企業の創立者は流通革命という「言葉しか」残せないようだが。昭和の高度成長時代にたくさん美術品を集めた商社経営者がいたけど、アッという間に散逸してしまって何も社会には活かせなかった。某製紙会社経営者は、世界的名画を墓に入れて焼いてくれといって世界中に恥じを晒したし。ま、私は何も残せないのではありますが。
瀬戸大橋。明石大橋はすごい偉大な構造物だと思った。こちらも、ま、すごいのですが、これだけ小島が点在しているならば、素人にも何とか可能ではないかと思わせるもの。宇高連絡船を使ったこともあるし、瀬戸大橋経由でJRで四国まで行ったこともあるが、じっくりとは眺めていたわけじゃない。今回、改めて見て、四国がこんなに近いのだとつくづく感じた。こんな狭い海峡で海難が起きるならば、橋をかけたいという気も起きるだろうと思う。津軽海峡なんて、対岸はほんと遠くに霞んで見えるだけなのに。
讃岐富士と屋島。讃岐富士は小学生の頃、我が家で購読していた「私たちの地理」というシリーズ本で、3番目に見てみたいと思ったもの(1番は宮崎の高千穂峡、2番目は青ヶ島)。JRで瀬戸大橋経由で四国に出かけたときに電車のすぐ脇に見えたんですが、ここからでも眺めることが出来た。