果無(はてなし)山脈

紀伊半島は見渡す限り山ばかり。山の向こうは山、そのまた向こうも山.....。ホント、果てがない。が、冗談みたいな「はてなし山脈」なる山系がある。山系と言ったって、これだけ山ばかりなんだから「系」というようなまとまりもヘッタクレもないのだが。
異常に暑かった夏もようやく終わり、10月になって出かけやすい気候になってきた。インターネットを眺めていたら、果無山脈のコースの説明があった。底なし沼ならば引き返せないだろうが、はてなし山脈ならば縦走途中で引き返せば大丈夫のはず。ちょうど一日の行程らしいので、出かけてみることにした。

昨年、熊野古道を歩いているときに見た果無山脈。山がそびえ立っている。どれが果無山脈なのか判らないけど、こんなに山があるのに、それぞれの山に固有識別名を付与するのすらどうでも良いような気すらしてくる。はてなく山が続いていることは判る。

果無山脈の入り口。ここから本日の目標である果無山脈の最高峰、冷水山まで、水平距離8km、標高差700mの道のり。


左は奈良県、右が和歌山県

やっと到達した尾根の一つ、和田森(1049m)。一挙に標高差500mを登ってきたのでかなり疲れた。が、林の中で全く景観は見えない。

和田森からは林道に出る。浸食もされておらず、苔むした林道でフカフカ。歩きやすい。国有林道のようだ。


管理のためか、気象観測機器が置かれていた。


雨量計は枯葉がたくさん入っていたし、記録器はこんな状態。長い間放置されているのは間違いない。国有財産(備品)だろうに。そもそも、葉が茂る木の下に雨量観測機器を設置していることが、真面目に仕事する気がないことを晒しているのだけど。

林道の先には大規模伐採地があった。だが...... 木の灰色化している状況を見たら伐採されて数年は経過している。運び出されず、植林もされず。何もしないならそのままにすべき。ただ伐採するだけならば、百害あって一理無しだと思うのだが。

と思っていると、今日の目標である冷水山の方は雲の中。こりゃマズイかな。


安堵山(1184m)。手製のプレートがいっぱい。これっていいのかなぁ...。「○○参上!」って暴走族の落書きと変わらないような気もするのだが。

このあたりから雲に入ってしまった。道と言っても目印など無い。ほとんど歩く人も居ないらしく、何処が道なのかよく判らないところも少なくない。道に迷ったら不味いことになる。ちょっと不安になり始めた。すると突然ガサガサって音がして、イノシシの子供?が逃げていったし、正体は確認できなかったけど、ちょっと大きめの動物が木から下りて逃げていった。ひょっとして月の輪熊?大学生の頃、北海道渡島半島で地質調査実習があり、ヒグマを遠くから見た。それに比べるとかなり小さいと思ったのだが....イノシシやシカ(太地町では野生のシカを見た。ま、奈良公園に行けばたくさんいるけど)は木には登らないだろうし......。何だったのだろう?


目標の冷水山はこの次。頑張ろう!


やっと着いた、果無山脈の最高峰、冷水山。


だが、雲のために何も見えない。


山頂には小学生登山の想い出話のプレートがありました。ここから海を見ることができるらしい。信じられないのだが....。昭和45年に廃校になった小学校の記念らしいのだが、よくよく考えてみると私よりも年上、当時5年生で今や52歳の人の思いで話でした。冬に登ったらしい。


登山道には意外にゴミが多い。歩いて1時間以上かかる山の中にビール瓶とは....どんなヤツだ?ステイオフのリングプルとは懐かしい。30年位前のもの?


ススキの穂が出てました。こちらに来て2年目の秋。


林道は雨水が流れると浸食されて崩れてしまう。林道を流れる水を早く横に逃がすことが必要。だから排水路が刻まれているのだが、簡単なものだとすぐに埋まってしまい役に立たなくなる。


U 字溝を埋めてその上にグレージングを置けばよいが金がかかってしまう。


最近はゴム板を埋めるタイプが出てきている。とテレビ東京のWBSでやっていた。実物を見たのは始めて。かなり飛び出しているけど車はそのまま通れる。


果無山脈縦走をしようと思ったのは、このページを見たから。登山口までバスが通っていることになっている。モデルルートではバスで来てバスで帰ることになっている。が、このダイヤでは不可能ではないか!なんといい加減な。高齢化した限界集落に通う生活路線なので、全便が病院を経由するらしい。が、「全便病院へ入ります」ってなぁ......バスも病気なのか?バスの車庫がこの奥にある訳じゃない。始発便はきっと街からやってくるはずなのに、街に向かう便から始まっているのは理解できない。街から帰ってくる最終バスもこの先に車庫がある訳じゃないから、そこで終わることはないと思うんだが。


合併のために今は出張所となってしまったかつての村役場庁舎。貧しい?家並みの中で異彩を放っていた。村のためではなく、村役場のための行政?


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