白浜層群の液状化痕(泥火山)
和歌山県中南部には、新第三紀中新世(1500万年前)の白浜層群が分布する。今の熊野灘や九十九里沖に相当するような環境だったと思われる。良く成層した砂泥の互層が主体。厚い砂岩は大地震直後に短期間(数時間から数日)で堆積し、薄い泥岩は大地震と大地震の間の百ないし数百年かけて堆積した。
大地震の際に液状化が発生して上位の地層を突き破った。それが地表(海底)で噴出したのが泥火山。白浜層群には液状化痕がしばしば見られる。と、いうのは本では知っていたけど、実物は初めて見た。
泥岩岩脈の天然記念物の碑。昭和15年に指定されたそうな。だが、どれが泥岩岩脈か分かる普通の人などいないと思う。田辺市鳥の巣にて
注入された泥。渦巻き状の流体痕が見える。流体となって地層中に入ってきたので、訳が分からない構造となっている。
下から液状化した泥に突き上げられたが、この地層は破ることが出来なかった。この地層のしたに泥岩が溜まった。表面は上に凸となったために亀甲上にひび割れている。
白浜町市江埼にて。中央部が成層した地層。その両側が液状化して下から浮上してきた泥岩脈。
上の写真の接触部。向こう側が砂泥互層の成層部、手前が液状化部。地層構造がグシャグシャ
右側が成層した砂泥互層、右側が液状化して進入してきた泥層。白浜町市江埼
液状化部には地下水が流れたために鉄分が沈着している。泥層の中には下の地層に由来する礫が含まれている。地中を上がってくる間に削られて円磨されている。
クロスラミナ。浅い海で堆積したことを推定させる。
砂岩層(右)を破って入ってきた液状化層(左)。下位の層を由来とする礫が多数含まれている。
市江埼灯台。車も入ることが出来ない山奥にも、かつては事務所があって人がいた。職員住宅もあった。今は無人となっているけど。
露頭に立派なスズメバチの巣があった。寒い時期で良かった。夏だったら近づけなかったかも。
耕す人が居なくなった山奥の棚田の跡に杉を植えた。が、杉の手入れもする人も居なくてあれ放題の林。日本は国土が狭いのではない。日本人にとっては手が回りきらず放棄された土地がたくさんある。
海上自衛隊の臨時観測点。何を測定するのだろう???