和歌浦

万葉集にも13首歌われているのだそうな。私は一首も知らないけど。山部赤人とか柿本人麿の名前は知っているが、その歌は知りませんでした。
かつての紀ノ川河口に形成された砂嘴によって造られたラグーン。紀ノ川は11世紀末の洪水時に現在の流路(和歌山市の北を西に流れる)になった。多くの者に歌われるほど見事な光景(だった)らしい。


紀三井寺から見た和歌浦。水平に見える緑が砂嘴。かつての紀ノ川は和歌山市の中心を北東から南西に流下していた。北(右側)に和歌山市中心街がある。


和歌浦。和歌山県は昨年から条例により船の係留場所を指定した。たぶん以前だったら漁船やレジャーボート、廃船などで一杯だったに違いないが、今は極めてキレイ。正面の緑が砂嘴。


砂嘴の上はきれいに整備された公園となっている。歌碑はこの地の基盤である三婆川帯の緑色片岩だが、それ以外の庭石は全て安山岩溶岩だった。茶色くなっていることから、明らかに陸上噴火の溶岩。どこから持ってきたのだろう?それに、そもそも何故溶岩なのだろう?緑色片岩は庭石としてポピュラーだというのに、全く無関係の地域からお金をかけて溶岩を持って来た理由が理解できない。八丈島あたりから運んできたものじゃないかと思うんだが....。


砂嘴の外側は海水浴場になっていました。今は紀ノ川の堆積物がやってこないから、砂嘴は浸食されてやせる一方。だから、テトラや敷石で固められている。


砂嘴の付け根にある山は三婆川帯の緑色片岩。そのままで十分庭石になると言うのに。


砂嘴の付け根には、塩釜神社がありました。仙台の隣の塩釜市は「塩釜神社がある」から塩釜となったと聞いたが....。そもそも製塩と関係があるそうな。


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