五木村・五家荘に行きました

 予想外にも転勤する事になってしまい、残された時間はわずか。南九州でぜひとも見てみたいスポットがいくつもある。何処を見ようかと考えた末、五木村に行くことにした。川辺ダムの建設が計画されており、五木村の中心街(と言っても小さなものだが)が水没してしまうため、全ての家が移転しつつあり、残された地は何とも言えない侘びしさが漂っている。もしダムが出来てしまうと二度と見ることが出来ないので、今回見に行くことにしました。また、平家の落人集落として有名な五家荘にも行きました。


 五木村の中心街跡と、そこを流れる川辺川の清流。殆どの家屋が撤去され、家の基礎だけが残されている。道路は狭く、かつては見通しが悪かったのだろうが、今は障害物もほとんどない。かつては家々に遮られて見通しが悪かったであろう所には、カーブミラーだけが残されている。


 お墓と廃屋、それと老大木。何とももの悲しくなる光景です。廃屋は取り壊されるのでしょうが、先祖代々受け継がれたお墓はどうなるのだろう?威厳ある老大木も湖の底に眠ってしまうのか?


 子守歌公園にて。五木村は「五木の子守歌」で有名だが、歌詞はよく知らなかった。文字で歌詞を読み直すと、その悲しさにショックを受けてしまう。日本とはこんなに貧しい国だったのか!この歌碑も水没するのだろうか。子守歌公園の土産物屋も撤去されて基礎だけが残っており、その脇をキジがあるいていた。


 五家荘に平家の落人が住み着いてから200年は知られること無く過ぎたそうです。「平家の里」なる施設の説明では「1394 年に五家荘が発見された」と書いてありました。川の上流からお椀が流れてきたので人が居るのではないかとは想像されていたが、山が険しいために近づけなかったそうな。ここの展示にある写真は昭和30年代のものですら、とても私が知っている日本とは思えないものだった。こんな山奥に今も人は住んでいるから不思議。この茅葺き屋根の民家に洗濯物が干してあった。現役らしい。


 五家荘へは、乗用車同士でもすれ違えない狭い国道を五木村から車で30分走り、さらにそこから県道に入って40分も走ってようやくたどり着く。行くときにはちょうど工事の休み時間だったために気づかなかったが、帰ろうと思ったら道路は1時間以上も通行止め。が、ここでは焦ってはいけない。気長に待つしかない。でも、もし、こんな山奥に住んでいて病気になったら救急車は来てくれるんだろうか?


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