内之浦のロケット発射場に行きました
日本最初の人工衛星「おおすみ」は1970年2月に、大隅半島(九州の南東端の半島の太平洋岸)の内之浦から打ち上げられました。当時はもうアポロが月に着陸(1969.7)したあとだったけど日本中大騒ぎだった。ように覚えている。小学生だった私も大騒ぎして喜んだ一人。私の本来の仕事とロケットとは関係ないんだけど、鹿児島にいる間は、実は接点がある。ガイドブックによれば、内之浦の施設は無料の資料展示館があるらしい。で、ちょっと休日に見学に行くことにした。職場の同僚にチラッと話したら、一緒に行くことになった。私の車じゃなくもっとマシな車で。
内之浦の観測所は、かつては東大の付置研究所の出先施設で、その後、一大学じゃなくて文部省の直轄研究所(宇宙科学研究所)の出先になり、2003年秋からは、宇宙開発事業団、航空宇宙技術研究所(これも東大付置研→文部省直轄研)と統合されて、宇宙航空研究開発機構の出先となった。内之浦の施設は無料の資料館があり、構内にもある程度立ち入り可能。で、内之浦宇宙空間観測所の所長とは仕事の関係上、こちらで若干面識を持った(くだんの同僚も)。で、彼は、ずーずーしくも、内之浦観測所の受付で「所長の○○さんいますか?」なんて馴れ馴れしく聞いた。所長は居なかったのだが、(所長の名前出したものだから)職員が親切に案内してくれた(当日の夜に小型観測ロケットの打ち上げが予定されていたので職員も出勤していた)。私じゃとても言えないが、まあ、お陰様で、多くの方は見ることが出来ないところまで見学できた。だが、観測所の車で構内を案内されたので、自由が効かず撮りたい写真を残せなかったのがちょっと心残り。
もともと大学の施設なのでとても貧しい(失礼)。予算不足からか老朽化、陳腐化が著しい。とても、最先端の科学技術を扱っているとは思えない。我が国が基礎科学に対する投資・熱意がこんな程度だってことを、老朽化した施設は示している。ような気がする。
行ったことはないけど、実用衛星を打ち上げる旧NASDAの種子島センターは、ずっと立派らしい。基礎科学に対する投資と、実用技術に対する投資の違いか?やっぱ、日本は金になることしか興味がないのかな?
34mパラボラアンテナ。衛星からの信号受信用。山頂にあってはるか遠くからでも判る内之浦のランドマーク。
コントロールセンター。小型ロケットの管制を行う。今回打ち上げたロケットもここで管制した。当日は打ち上げ日だったので何人も忙しそうに働いていたのに、突然の訪問者は全くの御邪魔。
なんとニキシー管の表示!とても21世紀とは思えないが、これがなんと現役。これで秒読みする。ま、秒読みするには機能的に問題ないとは言え、老朽施設をなんとか運用していることを如実に物語る。なんせ、コンソールには昭和40年代の備品表示がついているんですから。最初の人工衛星「おおすみ」から時が進んでいないみたい。
赤いのが自爆スイッチ。で、このコンソールにビニールがかけてあるのは、「汚れないためでもありますけど、実はこのあたりところどころ雨漏りすることがあるからなんですよ」だって。
#新型のM-Vロケットの発射コントロールは発射台近傍の地下にあって、さすがにこれよりは新しかったですけどね。
固体燃料型大型ロケット(M-V用発射台)。この内部や頂上まで見せて頂きました。M
ロケットは「のぞみ」や「はやぶさ」などの火星や小惑星まで行く探査機を打ち上げる。60mとかなり高いんですが、山の斜面にあるのでランドマークにはならない。
発射塔の屋上より。M-Vの実物大模型と発射地点。模型の上にあるのが、日本で最初に衛星打ち上げに成功したラムダロケットの発射ランチャー(発射時に油圧で立ち上がる)。
下のが、日本最初の人工衛星「おおすみ」。写真は残せなかったけど、周囲の国道の欄干には、「おおすみ」をイメージしたものが4つ付いている。し、内之浦の街でも「おおすみ」のモニュメントをいくつも見た。
展示館に飾ってある当時の新聞を読むと、当時の人々の感動が伝わってくる。「ソ、米、仏につぎ世界で四番目の快挙!」と新聞に大きく書いてある。私は小学生だったけど、しっかり覚えている。成功したのはラムダ4S5号機と今でもスラスラ出てくる。でも、初めて成功したのは5号機。それ以前は何度も失敗していた。当時の新聞などでは、「また失敗!」「米国は人間が月に行ってるのに日本では小さな衛星の打ち上げすら出来ない」「○億円の無駄遣い」とさんざんに批判・揶揄する記事ばかりだった。小学生ですら「一生懸命努力しているのにこんなに文句言われるなんて可哀想だな」と思うほど。それが成功したとたんに「快挙!」ですからねぇ。小学生にすら見透かされる日本のマスコミのご都合主義・レベルの低さにはあきれかえる。ま、マスコミは「いろんな意見がある。私たちはそれを伝えただけ」って言うんでしょうけど、取捨選択して自分の意見を代弁させて公平を装うところがさらに許せない。私が物事を斜めに見ることがあるのは、ひょっとしたらこの時に大人(マスコミ)のレベルの低さを感じたからからだったんだろうか?